ツタンカーメンの死因は?ファラオの呪い?デタラメだった?

1922年11月4日にハワード・カーターによって3000年の眠りから発掘されました。

これが後に20世紀最高の発見と称されます。

世界の中の人を魅了してやまないツタンカーメン。

その謎は今でも解けないものだらけです。

日本でも最近ツタンカーメン展が開かれるなど

その人気はエジプトから遠く離れた日本でも劣ることはありません。

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ツタンカーメンの生前

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古代エジプト第18王朝の12代目の王(在位前1363頃~前1354頃)

運命にもてあそばれた少年王と言われています。

また王の墓が良い状態で発見されたとして今でもエジプトのみならず

世界中の人々から愛されています。

イクナートンの血縁者として生まれた彼は、新しい信仰の神に従う者として、

ツタンカートン(トゥト・アンク・アトン=アトンの生けるしるし)

と命名されました。

しかし父と弟が相次いで死去し、後継の王として、

ツタンカートンが王女アンケセンパートンとあわただしく結婚式をあげます。

この時ツタンカートン10歳、アンケセンパートンは12歳でした。

信仰復興の勅令を公布して,アメン信仰以下伝統的な多神教信仰を復活させ,

王都もアテンの都アケトアテンからメンフィスに移すとともに,

王名をツタンカーメンと改名しました。

治世9年にツタンカーメンは18歳で死去しました。

死因は足の骨折からのマラリア?

2005年にミイラをCTスキャンした際に左足大腿骨に骨折跡が見つかったため、

骨折とその合併症によって亡くなったのではないかという説が浮上してきました。

現在の調査で足を骨折しひどいマラリアにかかったことが

直接の死因ということがわかりました。

また頭蓋骨内部にも骨片が見つかったことから頭部に打撃を受けて暗殺された

という説もありましたが、その骨片はミイラにする時に脳を取り出した結果

そうなってしまったと結論になりました。

また、ツタンカーメンは口蓋裂と内反足に悩まされていて

杖をついて歩いていたほど軟弱な王だったこともわかっています。

ファラオの呪いとはなんなのか?

ツタンカーメンの発掘とともに謎の怪死事件が続出することになります。

その始まりは1922年の11月4日の発見当日から始まります。

発掘者:ハワード・カーターが引き連れていた幸運の鳥:カナリアが

コブラに食べられてしまいました。

ツタンカーメンの墓を発見した直後に食べられてしまうとはなんとも不運ですね。

そしてツタンカーメンの墓の入り口には、

「偉大なるファラオの墓にふれた者に、

死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」

という碑文が書いてあったそうです。

インディージョーンズの世界になってきましたね!!

そしてこの碑文の内容は現実のものとなります。

翌年の4月に調査隊のスポンサーだったカーナヴォン卿が

原因不明の高熱で他界します。

またカーナヴォン卿の死後直後に墓の開封に関与したアーサーメイスも死去。

その後も調査に携わった学者などが相次いで5人死亡。

さらにツタンカーメンのミイラを調査した学者も急死したそうです。

1930年までに墓の発掘に関わった人間22人が死亡し、

結局は1人しか生き残りませんでした。

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そんな呪いはデタラメだった?

先に書いた「カナリア」や「入り口の碑文」などすべてがデタラメ

だったということが明らかとなった。

そもそも碑文なんて確認されていないんだとか。

カーナヴォン卿も死因は、蚊に刺された箇所をカミソリで傷つけてしまったことから

熱病に感染し肺炎も併発したことが直接の死因です。

また真っ先にツタンカーメンの墓に入った4人ですが

最初に呪われてもおかしくないですよね?

しかし1930年までに亡くなった方はカーナヴォン卿だけです。

そのほかにも呪いで亡くなったとされる方達も死亡時期が捏造されています。

ガッカリですね。エジプトのツタンカーメンなんて言ったら

古代の神々や超能力者の力とかで本当に呪いとかありそうだと思いましたが、

意外とないんですね(笑)

しかし発掘して3000年前のかつての王様の墓を見つけ、

宝石や黄金で作られた2000点に及ぶ財宝なども一緒に見つけました。

この発見に関しては夢に溢れ、これからも人々を楽しませてくれることは間違いありません。

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